先日の私のツイートの内容をこちらにも掲載しておきます。
宇部新川駅のシーンは現実世界だと思います。
DSSチョーカーは贖罪の象徴であり、同時にシンジの覚悟の証。それが外されるシーンは彼がその責務を全うし、解放された事を示す演出であって、シンジが未だ〝あちら側〟にいる事を示すような物では無いのではないでしょうか?
何よりそれまでの(本物の)DSSチョーカーなら、外した時に内側が赤く発光しているはずでしょう。
未発動のDSSチョーカーを外す際に内側が赤く発光しているシーンは『:Q』で確認できます。
シャッターの向こうへと見送ったカヲル達が同じ駅にいる事も、そこがもう外側、現実世界である事を示しています。
ついでに。
アスカのインターフェースヘッドセットが外れ、エヴァパイロットという呪縛と役目から解放されたように、シンジはプラグスーツを脱いだようです。いや正確には脱いだのではなく、〝ただのスーツになった〟という事ではないでしょうか。
ゲンドウは
「自分の認識、すなわち、世界を書き換える」
と言っていましたよね。つまり世界の有り様は自らの認識次第なのではないでしょうか。ヴィレクルーとアスカが第3村に帰り、マリがシンジを連れ帰る世界と、宇部新川駅が映る世界は同じ現実世界だと思うのです。
ただ、〝見え方が違う〟のではないか、と。
しかし共通しているのは
エヴァが存在しない世界
だという事です。
シンジが
「時間も世界も戻さない。ただエヴァの無い世界に書き換えるだけだ。」
と言う通り、新しく人々が生きていける世界になったはずです。
そもそも、シンジが
「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」
と言った後、人々が天から降ってくるわけじゃないですか。現実世界でそんな事起こり得ないわけで。
あの時点で世界は開き、別世界になっていたはずなんです。
全ての生命があるべき姿に戻り、世界に降り立ち、そして開いた世界が再び元に戻る。金色だった宇宙も、星々が輝く元の景色に戻っていたはずです。
青い海と緑の生い茂る大地の上に、戻ってきた人々が暮らす。それがきっと、〝元の認識〟で見るあの世界。
そして、マリとシンジが手を取り合って宇部新川駅から飛び出すのが〝新しい認識〟で見るあの世界。
どちらも現実で、どちらも〝見え方が違う〟世界。
そしてこれは、私達の世界も同様です。
TV放映版の最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」を思い出してください。
「雨の日は憂鬱。そう教えられたら、そう思い込んでしまう。雨の日だって楽しい事はあるのに。受け取り方ひとつでまるで別物になってしまう、脆弱なものだ。人の中の真実とはな。」
そう、ヒトは認識の仕方を変えれば、世界を書き換えられるはずなのです。
私達はいつでも、心の中でアディショナルインパクトを起こせるのだから。草。
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