明日、ついにエヴァが終わるらしい。
私がエヴァに出会ったのは、中学2年の冬だった。2012年11月、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』が公開される直前に、2週間に渡って放送された『金曜ロードショー』を観たのがきっかけ。
『:序』の冒頭10分くらいを観て録画を消そうと思っていた当時の私は、とてつもない衝撃を受けた。
「な ん だ こ れ は」
アニメというものにほとんど興味を持たなかった当時の私は、〝エヴァ〟という作品の名前は知っていても、その内容については「ロボットが出てきて戦う」くらいの認識でしかなかった。
しかし、実際に観てみれば
- 街は荒廃し、海は真っ赤に染まった世界
- それでも不思議とリアルに感じてしまう
- 自分と同じ歳の男の子
- 突然巨大な敵が現れ、迎撃する兵器群
- わけもわからず迎えの車に乗り、着いた先で特に説明もなくエヴァに乗せられる
このわけもわからず進む展開が、どこか近未来的な世界観が、そしてシンジ自身の内向的且つ不器用さと周りの人間との関わりを描いた様が、
想像していたものとまるで違う
と気付き、『:序』に続いて翌週の『:破』も観て、そのまま『: Q』を観るために劇場へ足を運んだ。
その時すでに、私はエヴァにのめり込んでいた。学校の友達と毎日のようにエヴァを語り合っていたのが懐かしい。
時は過ぎて高校生になった頃。
Q&Aアプリ「LINE Q」に出会う。
自分の疑問を解決したい、というよりは誰かの疑問に答えて解説したい、エヴァファンと話したい、そんな気持ちの方が強かったと記憶している。
「EVA Mark.06」というネームで活動を始めた。これが私にとって最初の〝エヴァ垢〟のようなものだった。
ここでの活動がきっかけで、エヴァをより深く知り、考え、学ぶ(という表現はやや語弊があるが)事に繋がった様に思う。
活動を続けていく中で、LINE Qの「博士のノート」や、「LINE BLOG」にエヴァに関する情報(「エヴァンゲリオン全機体全集」などがこれに当たる)を投稿するようになった。
その動機・理由は明白で、以下の通りである。
「知りたい情報がネット上にない。それなら自分でページを作ってしまおう」
この精神は今でも私のエヴァ活動の軸となっている。
大学生になり、Twitterアカウント「アルマロス」を開設。
その後、LINE Qのサービス終了に伴って「博士のノート」の内容を「NAVERまとめ」へ、さらにLINE@(後にLINE公式アカウント)「EVA Mark.06」を作成。今でもLINE Qの頃から繋がってくださっている方々には感謝しております。
そして2018年にこのサイトを開設、「LINE BLOG」の内容をこちらに移し、現「アルマロスの部屋」を活動の拠点とした。
エヴァファンになって8年
「EVA Mark.06」を名乗り始めて6年
「アルマロス」として4年
〝エヴァンゲリオン〟という作品を通じて多くを学んだ。これは脚色ではなく、事実として様々な事を教わったと思っている。言葉、考え方、好きなもの、数え上げたらキリがないが、今の私を形作る要素のほとんどは〝エヴァ〟をルーツに持っている。
あの日、たまたま録画していた金曜ロードショーを観ずに消していたら、私の人生はきっと180°別のものとなっていただろう。あの時エヴァを観ていなければ、今の自分はない。嘘偽りのない本心からそう思う。エヴァこそが、私のその後の人生を決定付けたのだ。
ここ数年は特に、投稿だけでなく様々なコンテンツを展開し、作品を通じて多くの方と関わり、エヴァこそが日常生活の中心にあった。
私にとって〝エヴァンゲリオン〟は、決してただの虚構な物語ではなく、現実世界と地続きの〝リアル〟なのだ。
その、私にとって一部であり全部でもある作品が、一つの終わりを迎えようとしている。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』こそが、私にとって〝まだ生きてる意味〟だと言っても過言ではない。
辛い事なんて沢山あったけれど、エヴァがあったからここまで生きてこられた。
いま、明日に向けて楽しみ半分、喪失感に襲われる恐ろしさ半分、といった感情になっている。この文章を打っているだけで涙が出てくる。本当に終わるのか?
エヴァという作品は、観る度に新たな発見や、あるいはこれまでと違った自分や登場人物の感情に気付かされる。観る年齢によっても感じ方が違ってくる。これがまたおもしろい所だと思っている。
だからこそ、本当の意味で私の中の〝エヴァ〟が終わるわけではないのは頭ではよく理解しているはずだ。
だが明日、私の人生に決定的な〝一区切り〟ができるのは間違いない。
明日の私が、どうかまた新しい道を歩き出す勇気を持てますように。
2021年3月7日 アルマロス/EVA Mark.06
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